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長塚節顔

長塚節(ながつかたかし)。

1879~1915。

享年35歳。

歌人、小説家。

茨城県の豪農の長男。

結核のため35歳の若さで死去。

代表作、小説『土』を夏目漱石が激賞。

歌集『鍼の如く』他。

長塚節は、生まれてから死ぬまで病気と闘い続けた人物でした。

幼時から虚弱で、尋常小学校には2年長く在学し、高等小学校へは少しでも至便な祖母の家から通いました。

中学生になってからも不健康は続き、16歳のの若さで塩原温泉にて湯治。

しかし、その甲斐もなく翌年ノイローゼが発症し、旧制水戸中学校を4年で退学。

その後、20歳のときまで病院を転々としますが、正岡子規に入門するのとほぼ同時に恢復。

約10年間は小康を保ったものの、31歳の折に、長編『土』を執筆した無理が元で痔疾が悪化。

その手術をして以降、体調は急速に崩れていきます。

やがて、のどの痛みが喉頭結核と診断され、決定していた黒田てる子との結婚を苦悩の末、破棄。

入退院を繰り返した結果亡くなるのは、そのわずか2年後のことです。

ところが、このような病身だったのにもかかわらず、子規と出会ってから14年の間に、彼は日本全国を実に驚くべき精力を以て旅しているのです。

長塚節旅1

それも、浮浪者と間違われるような粗衣をまとい、野宿も辞さず、1日5、60銭で総てをまかなうという、全くの徒歩での旅行です。

彼の旅への執念は、死が迫っても衰えることを知らず、最後の行脚となった、死去6か月前の日向(ひゅうが)、青島、別府回遊行にいたっては、3度めの結核手術直後の九大病院から退院したその足で、発熱を押して敢行されたもので、こうなると最早奇跡に近いとさえ言って良いでしょう。

長塚節旅2

北海道以外、殆ど隈なく日本全土を歩いた長塚でしたが、その目的は、各地の自然と伝統美術に触れ、それらをその場で歌に写し取る「写生」にありました。

つまり、師・子規の文学論を命を削ってまで実践し続けたのが、長塚節その人だったのです。

伊藤左千夫、土屋文明も一目置いた、薄幸の俊才でした。

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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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