2012/01/04 12:48:35
若い人たちが全力を出し切って走る姿は、真に感動的です。
この日のために、1年間必死になって鍛錬を重ねてきたのです。
記録的なタイムで往路を疾走した、福島出身の東洋大学・柏原くんは「ぼくが苦しいのは1時間だけですが、福島の人たちはずうっと苦しいのだから、それに比べたら大したことはありません。」と話したそうです。
復路9区の東洋大学・田中くんは、途中、調子が崩れて脇腹を叩きながら走りました。
ゴールした後、涙を流しました。
復路のアンカー、東洋大学の斎藤くんは終始苦しそうな表情を見せつつも、お守りを縫い付けたゼッケンを胸に力走し、「1位」を表す人差し指を高らかに掲げながら、総合優勝のゴールを切りました。
49年振りに「総合3位以内、早稲田轟沈」を成し遂げた明治大学の鎧塚くんは、座骨神経痛の痛みを薬で散らしながら復路のアンカーを務め、ゼッケンの「明大」と「M」の文字を指差しながら、誇り高くゴールしました。
鎧塚くんは、イギリスの大会で日本人学生最高記録を出した学生だそうです。
しかし、去年の10月から座骨神経痛が悪くなり、一時は歩くことさえままならなかったといいます。
それが、なんということでしょう。
心から賞賛せずにはいられないではありませんか。
5位となった青山学院大学の復路アンカー・大谷くんは、右掌を大きく開き、「5」という数字を示しながらゴールテープを切りました。
5位は、青山学院大学始まって以来の最高順位だったのです。
途中、時間切れで襷(たすき)を渡せなかった大学がいくつも出る一方、東洋大学は抜群の快進撃で独走し、その後ろで、明治、早稲田、駒沢が激しいデッドヒートを演じました。
復路、中継所でゴール直前に走者が転倒し、間一髪で襷をつないだチームもありました。
所用で総てを見ることはできませんでしたが、すばらしく感動的な真実のドラマを目の当たりにさせていただきました。
選手のみなさん、監督さん、レースに出られなかったけれど選手をしっかりと支えたチームメイトのみなさん、関係者の方々、本当にお疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました。
写真は、時事通信社、その他のサイトから拝借させていただきました。
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