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田宮虎彦

田宮虎彦(たみやとらひこ。写真上。1911~1988。)は、短編小説『絵本』で1951年に毎日出版文化賞を受賞しました。

地味な作品ながら、『絵本』は今も読み継がれています。

地方から東京に出て来て東京帝国大学に通う苦学生の青年が、主人公です。

時代は太平洋戦争勃発の数年前と思われます。

青年は父の反対を押し切って上京しました。

そんな彼を案じて、母は病弱な体を押して父の目を盗みながら内職をし、毎月手紙に五円札を忍ばせて送ってきます。

父は大変に気性の荒い人間で、送金が露見すると母にひどい暴力をふるっているであろうことが、容易に想像され、青年は心を痛めます。

彼自身も、印刷屋のガリ版切り(原稿を薄い油紙に鉄筆で書き写すこと。その油紙を印刷機に貼り付け、インクを塗って印刷する。)をやって給金を得ていましたが、その額は雀の涙で、母に返金することなど到底できなかったので、五円札を受け取るたびに胸が張り裂ける思いがするのでした。

青年は小さなアパートに下宿していました。

そこには、大家一家も一緒に住んでいました。

祖母、父、母、それに息子でした。

父親は外で働いているようでしたが、稼いだ金を家に入れず、それなのに仲間を呼んで酒を飲んでは騒ぐのでした。

祖母がそれをなじると、決まって激しい口論になりました。

母親は貧苦に耐え、疲れ切りながら下宿人の世話に明け暮れています。

そんな家族の情況を、息子はいつもフトンに横たわりながら、じっと見つめていました。

息子は病気のため、殆ど寝たきりだったのです。

しかし、息子は頭が良くて礼儀正しく、青年と話すのがとても好きなようすでした。

青年も息子と話すのが好きでした。

息子との会話は、日々の辛い生活の中で、青年にとって唯一の救いだったのかもしれません。

青年の隣の部屋には、これもまた地方から出て来た中学生が住んでいました。

中学生はリューマチを患っており、夜中に必死で痛みをこらえるうめき声を上げるのです。

どうにかしてやりたいのですが、青年にはどうすることもできません。

中学生のうめき声を聞くたびに、青年は己(おの)が無力を恥じるのでした。

この中学生は、故郷の工業学校に進むための資金を作るべく、痛む体に鞭打って新聞配達のアルバイトをしていたのですが、ある日、警察に連れて行かれてしまいます。

新聞配達員による強盗事件が起き、その容疑者とされてしまったのです。

中学生の兄は上海事変に出征して捕虜となり、敵軍に銃殺された人間でした。

当時の軍隊では、捕虜となることはそれだけで天皇の顔に泥を塗る行為であり、捕まりそうになったら自殺せよ、と教えていました。

兄はこの教えに背いて敵に銃殺されたのだから、恥ずべき裏切り者だ、あいつはその弟だから当然強盗ぐらい朝飯前でやるだろう、というわけで、ろくに調べもしないまま、警察は中学生を拘束したのでした。

結局、真犯人が見つかり、中学生は釈放されて戻って来ます。

ところが、彼の顔を見て、青年は驚愕します。

至る所に青あざができ、唇はザクロのように割れて腫れ上がっていたのです。

竹刀による激しい殴打の跡でした。

やがて、雨の夜、中学生は首を吊って死にます。

その後、青年はこの下宿を出る決心をします。

そして、別れ際に、なけなしの金をはたいて買って来たアンデルセンの絵本を、大家一家の息子に渡すのです。

絵本

息子は、フトンの中で絵本を抱きしめながら、涙ながらに言います。

「また、遊びに来てくださいね。」

田宮虎彦という人は、私小説作家だと考えられていましたので、この作品の主人公は田宮本人かとも思われますが、そうではない部分もあるようです。

しかし、『絵本』が、一苦学生の目を通して戦前の日本の事実を写し取っていることは確かでしょう。

貧困、思想、弾圧、軍国教育、偏見、どれを取っても、真っ先に弱者が犠牲となる社会的要素です。

思えば、この作品に登場する人物たちは全員が弱者です。

不幸にも敵に殺されてしまったのに、死後もなお裏切り者呼ばわりされる中学生の兄、ぬれぎぬを着せられ拷問まで受けたあげく自殺する、リューマチ病みの中学生、幼くして難病に冒されながらも、病院にも行かせてもらえない下宿先の息子、彼の家族も、むろん苦学生の青年も、またその両親も、みな弱者です。

その弱者たちが、決して救われることなく、苦しみ悲しみながら生きている、その姿を敢えて客観的な筆致で綴ったのが、この『絵本』なのです。

とはいえ、内容が悲惨な市井(しせい)の貧窮を描いたものなので、感傷的に過ぎるとか、哀切を過剰に強調している、といった批判もあったようです。

つまるところ、作者は、人間が生きるということは悲しいことなのだ、と言いたいのではないでしょうか。

悲しみに耐えることが生きるということなのだ、と。

裏返しに言えば、悲しみに耐えるには強さが必要です。

ですから、人間は強く生きなければいけない、というのが作者のメッセージだと思います。

これは非常に難しいことです。

辛さや悲しみに襲われるとき、人間は逃げたくなります。

でも、逃げてはいけない、と田宮虎彦は言っているのです。

それも、ギリギリのところでそう叫んでいるように思えます。

その必死な心が、一行一行からビリビリと伝わって来る作品だ、と言えましょう。

そんな田宮でしたので、1956年に奥さんを亡くされたときは悲嘆に暮れましたが、果敢にもそれを乗り越えて、彼女との往復書簡『愛のかたみ』を発表。

この本はベストセラーになりました。

ところが、これが評論家から酷評されるに及んで自ら絶版としました。

そして、歳月は過ぎ、1988年。

脳梗塞で倒れますが、手のしびれから執筆がままならないことを苦に、マンションの11階から身を投げてしまわれます。

訃報を知ったときの衝撃は、計り知れないものでした。

『絵本』の作者にしても、病魔の苦しみには勝てなかったのでしょうか。

ご冥福をお祈りするばかりです。



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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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