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若き志賀直哉

志賀直哉(写真上及び下。1883~1971。)の短編『小僧の神様』(1920年発表)は、太宰治からは猛烈に酷評されていますが、世評はすこぶる高く、志賀はこの作品の上手(うま)さから「小説の神様」と呼ばれるようになりました。

主人公は、東京の秤(はかり)屋の丁稚小僧(でっちこぞう。住み込みで下働きをする少年。)・仙吉です。

仙吉は、日頃、店の番頭たちがある寿司屋の寿司は格別に美味しい、と噂話をしているのを耳にして、かねがね寿司というものを食べてみたいと、内心切望していました。

当時の丁稚小僧というのは、衣食住は店の主人から総て面倒を見てもらっていましたが、休暇は正月とお盆の薮入りのみで、給料は無く、ましてや小遣いなどありませんでした。

ですから、寿司屋に出かけて寿司を食べるなど、夢のまた夢だったのです。

ある日、主人からお使いを命じられた仙吉は、行きだけ路面電車に乗り、帰り道は歩いて片道分の電車賃を浮かします。

この金で寿司を食べようと考えたのです。

歩いていると、うまい具合に屋台の寿司屋が出ていました。

先客がいましたが、仙吉は意を決して暖簾(のれん)をくぐります。

そして、目の前に置いてあったマグロの握り寿司を手に持つのですが、値段を聞いて驚きます。

片道分の電車賃より優に高いのです。

仙吉がもとの場所に握りを置くと、店主が言います。

「一度持ったものを戻しちゃあ、しょうがねえな。」

店主は、その握りを無造作に口に放り込んで食べてしまいました。

ばつが悪くなって、仙吉は足早に立ち去ります。

その一部始終を、隣で寿司を食べていた紳士が見ていました。

紳士は貴族院議員のAでした。

折しもAの家で秤を買う必要が生じ、あるとき、Aが仙吉が働く秤屋にやってきます。

Aは仙吉を見て、屋台でのことを思い出します。

そこで、買った秤を仙吉に持たせ、自分と一緒に歩いて家まで運んでくれ、と頼みます。

ところが、Aが仙吉を連れて行った先は、立派な店構えの寿司屋だったのです。

さらに、そこは番頭たちが格別に美味しい、と噂をしていた、有名な店だったのでした。

Aは女将に金を渡すなり、秤を持って帰ってしまいます。

仙吉は座敷に通され、一目が届かないよう襖(ふすま)で仕切られた部屋で、極上の寿司を三人前食べます。

帰りがけ、女将は、お代は十二分にいただいているから、またいつでも来てくださいね、と言います。

しかし、仙吉は二度と再び、その寿司屋に行きませんでした。

仙吉は、自分が憧れていた寿司屋に連れて行き、夢にまで見た寿司をたらふく食べさせてくれた、あの人物を「神様」だと考えるようになったからです。

神様のご厚意にこれ以上甘えたら罰が当たる、と思ったのです。

それ以来、仙吉は、あの神様がやって来てくださるのを毎日毎日待ち続けます。

一方、Aは、秤屋の丁稚小僧に寿司を食べさせてやったことを妻に話します。

でも、話しながら、Aは、なんとなく寂しいような切ないような、えも言われぬ気持ちになるのでした。

老いた志賀

これは、格差社会の物語です。

地位も名誉も財産もある最上流階級と、社会の最底辺で必死に働いている最下層階級が、階級の垣根を飛び越えて直接かかわりあったらどうなるのか、ということを描いた作品です。

Aが仙吉に寿司を食べさせてやったのは、同情心からです。

しかし、この同情心の根底には強い優越心が存在しています。

自分よりはるか上の階層に属する人間たちが、自分たちの階層の人間をどのように見ているか、を、幼く世間を知らない仙吉が、わかっているはずがありません。

だから、彼は夢のような体験をさせてくれたAを「神様」だと思ったのです。

学問もなく、未だ社会経験も極めて乏しい彼の頭では、Aのような人物を人間として捉えることは不可能だったのです。

喩(たと)えが悪いかもしれませんが、未開の民族に飛行機が飛ぶ様を見せたら飛神(ひしん)だと思い込み、見よう見まねで飛行機の模型を作って、これを拝み始めた、という記録映画を観たことがありますが、とてもよく似ていると思います。

もしAが物語の最後で、善行をした、貧しい者に施しをしてやった、と、名も知らぬ丁稚小僧にポケットマネーで寿司を食べさせてやったことを自画自賛するだけだったら、この作品は非常に軽いものに終わっていたでしょう。

Aが自らの行為を振り返って複雑な感情を抱くからこそ、物語に深みが生まれているのです。

仙吉は寿司を食べるべきではなかったのではないでしょうか。

Aの行為は間違っていたのではないでしょうか。

やがて時が経ち、叩き上げて修行を積んだ仙吉が番頭になり、その後、暖簾分けで独立した暁に、大手を振って寿司屋に繰り出し、いくらでも好きな寿司を食べれば良いことなのです。

今の仙吉は、寿司を食べるべきではないのです。

Aにしても同じです。

軽い気持ちで、丁稚小僧に高級な食事を与えたりしてはいけないのです。

総てに於いて正反対の相手をいきなり吊り上げて、ふだん自分がいる世界に放り込んでも、先方は何がなんだかわけがわからず、只管(ひたすら)混乱するばかりなのです。

これはとても罪深いことです。

しかし、最終的に、Aがこのことにうっすらと気付き始めている点が、仙吉に対するせめてもの救いになっています。






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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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