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ネコ

夏目漱石の小説『こころ』の最終章、先生から青年に宛てて送られて来た分厚い手紙の中で、先生は、かつて友人・Kから言われた「精神的向上心のない者は馬鹿だ。」という言葉を、Kがお嬢さんへの恋心を告白した直後に、彼に向かって浴びせた、と書いています。

Kにとっての「精神的向上心」とは、実家の寺で学んだ仏教的道徳に基づく「勉学に邁進(まいしん)する心」だったのではないでしょうか。

この作品が発表された1914(大正3)年当時の日本では、男女が並んで歩くことは恥ずかしい行為であり、まして、国家を背負い引っぱって行く人間になるべく学問に励むエリート学徒が、一女性に恋慕(れんぼ)の情を抱くなどもってのほか、言語道断の愚行だったのです。

だから、生真面目なKは、自らの恋愛感情を「精神的堕落」と捉えていたに違いありません。

そこに、親友だと思っていた先生から、自分の情けなくも愚かな痴態をばっさりと一刀両断にする言葉を突きつけられたのです。

しかも、それは彼自身が平素から座右の銘、人生の信条としていた言葉でした。

つまり、いつも言っていることと正反対のことをやっている自分を思い知らされたのです。

自己矛盾を鋭い刃(やいば)でえぐられたのです。

従って、愚直なKは、自らの哲学に反した自分自身を恥じて絶望し、自死を選んだのです。

よく高校生は「Kは、お嬢さんを先生に取られた悲しみによって自殺したのだ。」という解釈に陥ってしまいがちなのですが、それは読みが浅いというものです。

Kの生育歴、ふだんからの言動、当時の社会常識などを総合的に考えて判断しなければなりません。

一方、現在、先生もまたなぜ自殺しようとしているのか、ですが、こちらの方はKの場合よりも数段わかりやすいでしょう。

Kの自殺の原因を作ったのは自分だという自覚が初めからあり、それを償うために自ら命を絶つ決意をしたのです。

ただし、Kは、先生がお嬢さんを横取りしたから死んだわけではありません。

自分が自分の人生哲学に反したから死んだのです。

この点に於いては、先生はKの死に責任はありません。

しかし、先生がKを下宿の自分の部屋に住まわせなければ、Kがお嬢さんと出会うことはなかったし、何よりも先生がKの恋愛という自己矛盾をK自身の信条を表した言葉で強く非難しなければ、Kは死を選ぶことまではしなかったのではないか、と先生はずっと考えていたのでしょう。

その点に於いて、自分には責任があると。

赤子

夏目漱石は、近代日本の知的エリート階層の中に見られる排他的利己主義を描こうとしたのだ、と思われます。

それを、恋愛と結婚という、男女関係の原点と言うべき営みを使って表現しているところが、非常に人間臭く、迫真的なのです。

これは個人的な解釈ですから、異なったご意見も多々おありかと思います。

いずれにせよ、ここで申し上げたいのは、よくできた文学的文章は大いに考えながら読まなくてはいけないが、その作業は極めて面白いものだ、ということです。

小説ばかりでなく、詩、俳句、和歌、随筆、なんでもそうです。

良い作品を考えながら読んで、頭にエネルギーを注ぎましょう。



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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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