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溝口健二

2016年7月15日(金)の全国紙に出ていた文章です。

筆者は、日本映画大学学長・佐藤忠男さんです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  
今年は溝口健二監督の没後60年である。

私は日本映画大学の日本映画史の講義で、毎年戦争中の溝口作品の『残菊物語』を学生たちと見てあの時代を考えている。

こんな話である。

東京の歌舞伎の名優の家の奉公人の女が、主人の息子の芸を率直に批判して彼から感謝され、それで彼と恋仲になる。

しかし彼女はそれを、彼の母から名家の主婦の座を狙った色仕掛けの卑しい行為だと罵られて解雇される。

彼と彼女は家を出て大阪に行き、厳しい修行に耐える。

そして彼女は、立派に芸を磨いた彼を東京の家に帰し、自分は密かに身を引く。

これは当時、女の自己犠牲を美化する古くて封建的な恋物語りだと見られた。

生涯主として女の人権擁護の映画を作っていた溝口もさすが戦争中には封建思想に妥協せざるを得なかったと言われた。

しかし恋愛の自由という思想を知らなかった明治の庶民の女の意地のドラマだったと考えるとどうなるか。

溝口健二は、戦前に既に女性の解放を主張する『祇園の姉妹(きょうだい)』や『浪華悲歌(なにわエレジー)』を作り、その種の作品では世界で最初の傑出した映画作家とされる。

そんな彼が、日本人を自己犠牲賛美に押し戻そうとする時代だった戦争中には、そこまで後退せざるを得なかった。

しかし学生たちと繰り返し『残菊物語』を見て行く内に、ヒロインの行動は、封建制に屈しながらも、自分は人格的に侮辱されるような女ではないと、恋を犠牲にしてでも、きっぱりと言わずにいられない一種の強烈な自己主張だという面も見えてくる。

彼の母や周囲の人々から加えられた人格的侮辱に対する,昔の下層社会の女の凛とした抵抗だ。

真剣に生きてきた日本人の意地が厳しい美しさに結晶

意地とは如何にも古風だが、日本の庶民の自己主張のあり方が、良かれ悪しかれそこにしっかりと捉えられている。

だからいま見ても強く心を打たれるのだ。

溝口には後輩の小津安二郎のモダーンな味わいなどに比べて、古風な重々しいところがある。

暗い時代を真剣に生きてきた日本人の辛い意地が、厳しい美しさに結晶しているのだ。

世界を驚かせた『雨月物語』や『山椒大夫』の美はそこに根ざしている。

溝口健二は小学校しか出ていないが、映画を作ることで人間を学び、社会を学び、世界でも屈指の巨匠になった。

その人生自体が意地の結晶である。

同時に有り余る意地で人を見る目を歪ませてはならないという自制が、作品の品位を高めている。

溝口が亡くなったのは日本が豊かな国になる直前である。

豊かになった日本はもう彼を必要としないか。

そんなことはない。

いまだって我々の廻りには別の形で、意地で立ち向かうしかないものでいっぱいではないか。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

自分にとって、溝口健二監督といえば『雨月物語』です。

上田秋成の怪異短編集から二編を取り上げて巧みに複合した名作です。

雨月物語

京マチ子さんの鬼気迫る妖艶な姿には圧倒されます。

現在、こんな演技が出来る役者はいないのではないでしょうか。

偉大な芸術は、容易に時を超えるのです。
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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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