2009/08/11 14:47:26

井上クンは、もとは大手ゼネコンの社員でした。
名前を言えば誰もが羨(うらや)む一流私大の法学部を出て、颯爽(さっそう)と就職しました。
スーツの襟に光る会社のバッジが誇りでした。
研修期間を終えると都心の大きな支店に配属されましたが、日夜バリバリ働きました。
学歴から言っても能力から言っても、将来は間違いなく重役になる、いやひょっとすると社長のイスも決して夢ではないかもしれない、と、先輩や上司から言われました。
周囲の期待通り、支店で課長になったのが入社5年目という異例のスピード昇進も果たしました。
そして、30歳のとき念願の本社勤務となり、経理畑の係長に大抜擢されました。
ところが、その年の5月、かつて本社が建設したある区の公共施設のビルで、突然内壁が崩落する事故が発生しました。
日中の事故だったのにもかかわらず、奇跡的なことに死傷者はゼロでした。
しかし、当然のことながら事態を重く見た区当局は、無償の修理、現場の検査、それに原因の究明を要求してきました。
そのビルの建設を指揮したのは、当時技術の方の部長だった今の専務でした。
井上クンが入社試験を受けたときの面接者の1人がこの専務だったこともあって、入社後、専務は彼に目をかけてくれました。
支店から本社に出張するときなどはよく会って、食事などを共にすることも多くありました。
井上クンの本社への異動も専務の意向が強く働いたからでした。
入社から現在まで様々なことを教わり、人事面でもこのうえなく世話になっている人物ですから、井上クンは専務を尊敬し、若者に似合わず盆暮れの付け届けも欠かしませんでした。
やがて、ビル内壁の崩落事故について、調査後、区長をはじめとする区の幹部に会社が説明する機会が設けられました。
6月の半ばでした。
井上クンのデスクの電話が鳴りました。
出ると専務でした。
部屋に来いと言うので行ってみると、専務は明日自分といっしょに出張してほしい、ついてはこの資料を読んでおいてほしい、と言って書類の束を渡しました。
デスクに戻って書類を読むと、それは崩落事故の調査結果でした。
調査結果については、事故が大きく報道されたので一部の関係する社員には内容が知らされていました。
井上クンは直接関係はない部署の人間でしたが、技術の人間から原因を聞いて知っていました。
しかしながら、その目で読むと、専務から渡された資料がどうもおかしいのです。
専門用語がやたらと羅列してあるわりには、事故の原因についてまったく核心をついていないように見えました。
井上クンは、内壁の中を補強する鋼鉄製のワイヤーが足りなかったから崩落した、と聞いていました。
でも、資料にはビルの廊下を通る人間の震動が影響して壁が崩れた、という具合に書いてあるようでした。
井上クンは、とてもイヤな予感に襲われました。
つづく
(写真は、googleさんから拝借させていただきました。)
スポンサーサイト