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原民喜
はら・たみき。

1905〜1951。

詩人、小説家。

広島市出身。

慶応義塾大学英文科卒。

七男五女の五男だったが、長兄、次兄、六弟、長姉、次姉は早逝。

服飾業の父親も若くして死去。

リアルな筆致で被爆体験を描いた『夏の花』の他、『焔』などがある。

昭和二十六年、吉祥寺・西荻窪間の鉄路で鉄道自殺。



原は大変に特異な性格の持ち主であった。

学生時代は教室の内外で誰とも口をきかなかった。

少年の頃から、自分以外の人間が自分を迫害しようと常に機会を窺(うかが)っている、と感じていた。

結婚後も所用があるときには妻が同行して総ての処理を行い、原はといえば唯横に座っているだけであった。

更に晩年には、自分の周囲が瞬時にして崩壊するのではないかという強迫観念に、昼夜を問わず怯(おび)え続けた。

強度の分裂病質である。

加えて、原は生涯のうちに強烈な精神的衝撃を何度も被(こうむ)っている。

最初が父の死(十二歳)。

次が中学受験失敗(十三歳)。

その際、一歳下の少年達から揶揄(やゆ)されたことがもとで切腹未遂事件を起こしている。

続いて最愛の姉の死(十九歳)。

大学を出た頃には、身請けした女性に裏切られて服毒自殺を図り(二十七歳)、翌年結婚した愛妻・貞恵も結核で死去(三十九歳)。

そして、運命の被爆である(四十歳)。

極度に繊細で過敏な性格の上に度重なる不幸な出来事である。

率直に言えば、原はいつ自殺してもおかしくなかった。

現に、二度にわたって自ら命を絶とうとしているし、妻の死に臨んでは「一年間だけ生き残らう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために・・・・・・」(『遥かな旅』)と、やはり自殺を示唆している。

しかし、原が実際に鬼籍に入ったのはその七年後のことである。

ではなぜ彼はあと七年も生きることができたのか。

それは正義感である。

原爆の惨禍を記録し伝えなければならないという使命感である。

だからもし広島が茸雲(きのこぐも)の餌食(えじき)にならなかったとしたら、著名な作家・原民喜は生まれ得ず、彼は早々に妻の後を追っていたであろう。

だが、戦後勃発した朝鮮戦争は今度こそ原を殲滅(せんめつ)した。

弱き作家は死を以て戦争に抗議したのである。
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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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