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三島由紀夫2
三島由紀夫(みしまゆきお)。

本名、平岡公威(ひらおかきみたけ)。

1925〜1970。

東京都出身。

小説家、劇作家、評論家。

学習院を経て東京大学法学部卒。

小説『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『午後の曳航』『豊饒の海』四部作など。

戯曲『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』など。

昭和45年11月25日、楯の会会員と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地内に乱入後、割腹自殺。



<ペンネーム>

「三島由紀夫」というペンネームは、雑誌『文芸文化』の同人であった、学習院国語科教諭の清水文雄らが付けた。

編集会議を修善寺で行った際、教え子の平岡公威が書いた小説『花ざかりの森』の原稿を清水が持参、全員一致でその掲載を決めた。

このとき、往路に通って来た「三島」と、打ち眺めた富士の「雪」の印象から「三島ゆきお」の名が生まれ、後、平岡が「由紀雄」と書いたのを清水が直して「由起夫」とした。

平岡十六歳、学習院中等科五年の夏だった。


<父は反対>

しかし、父・平岡梓(あずさ)は息子の文学への傾倒を忌み、嘆いた。

彼は、丹精込めた少年作家の原稿を本人の前で度々破り捨てて激怒したが、母・倭文重(しずえ)は息子にそっと紙とインクを渡し、夜食を作り、できた作品に批評を加えた。

三島由紀夫1

だが、そんな父も、入営を控えた公威が処女出版(短編集『花ざかりの森』昭和十九年)を果たすと祝賀会を開き、当時としては破格の高級ブランデーを息子の恩人らに振る舞った。


<軍隊>

昭和二十年二月四日、入営通知。

六日、涙に暮れる母に見送られながら、父と本籍地・兵庫へ。

十日、流感による高熱をおして入隊検査を受検。

ところが、軍医が肺浸潤と誤診したため兵役を免れ、即刻帰京した。

入隊予定だった隊は、その後フィリピンで殆ど壊滅した。


<不遇時代>

やがて、正式デビュー直前の昭和二十一年一月、三島は書きためた原稿を筑摩書房に持ち込んだ。

創刊間もない雑誌『展望』の編集長は『中世』という作品を採用しようとしたが、同社顧問が「マイナス百二十点」と酷評したためボツとなった。

編集長は臼井吉見、顧問は中村光夫だった。


<太宰大嫌い>

また、二十二歳のとき、三島は太宰治本人に「あなたの文学は嫌いだ。」と言い放って、同席していた亀井勝一郎らを狼狽(ろうばい)させているが、後にも、「私は太宰の顔・田舎者のハイカラ趣味・不適な演技が嫌いだ。」と書いている。
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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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