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藤本義一

10月30日に79歳で亡くなった藤本義一さんと川島雄三監督について書かれた『余録』(2012年11月1日<木>毎日新聞朝刊)をご紹介します。

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映画監督の川島雄三(かわしまゆうぞう)に藤本義一(ふじもとぎいち)さんが弟子入りしたのは宝塚撮影所の掲示板でその付き人募集の張り紙を見たからだった。

「思想堅固デナク、身体強健デナク、粘リト脆(もろ)サヲモチ、酒ト色ニ興味アルモノヲ求ム。監督室内、股火鉢(またひばち)ノ川島」

▲藤本さんの小説「生きいそぎの記」はそう記すが、これはさすがに脚色された話らしい。

川島雄三

しかしシナリオライターとして師事した川島監督には「プロは嫌なことをするから好きなことができる。アマは嫌なことを避けるから好きなことができない。」とたたき込まれた。

▲もうひとつ監督からは「とにかく本を読め、大阪に生まれたんならば井原西鶴(いはらさいかく)を読め。」と言われた。日本の近代文学なんてみんな西欧の借り物だと言っていた川島監督だった。

その時から「私の中にすみついた人物が西鶴であった」。

後に藤本さんはそう回想している。

サヨナラだけが

▲「人はばけもの、世にないものはなし。」は西鶴の言葉である。

高度成長からバブル期にいたる25年間、テレビの深夜番組「11PM」の司会をつとめ、一方で直木賞作家として西鶴や織田作之助(おださくのすけ)ら大阪の町人文化の流れをくむ文芸の伝統を掘り起こした藤本さんだ。

▲武士や役人の四角四面(しかくしめん)を嫌い、人の本音に即したモラルや商人道を培ってきたこの地である。

阪神大震災の際に藤本さんは寝ていた体をひねった直後、倒れてきたたんすの金具が枕に突き刺さる体験をした。

その後は震災遺児の心のケアの施設造りのために尽力する。

▲「蟻(あり)一匹炎天下」。

「義一」の名前にかけた座右(ざゆう)の銘(めい)をよくサイン本に書き添えた藤本さんである。

関西文化の語り部としての長い歩みを今静かに終えた。

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お若い頃、「東の井上(ひさし)、西の藤本」と言われたほど戯曲の才に秀で、舞台の脚本家から出発した藤本さんは、映画の世界でも厳しい修行をしていらしたのです。

幅が広かったわけです。

また、松竹新喜劇のための芝居も書いています。

上方の落語や漫才などにも造詣が深くていらっしゃいました。

最終的には直木賞を受けて小説家となりましたが、これは井上ひさしさんと同じ道筋でした。

ただ、井上さんは「小説家として先ず有名になれば、自分が書く芝居を多くの人が観に来てくれるようになるだろう。」と考えて小説を書いたので、その活動の中心はあくまで演劇だったのですが、藤本さんは、直木賞後は小説に軸足を定めたようでした。

しかし、ごく若いときに誰に出会うかは大変に重大です。

藤本さんが川島雄三さんから得たものは計り知れないでしょう。

そういう人物になりたいものですが、なかなか難しいですね。

藤本義一さんのご冥福をお祈りします。
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Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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