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永井荷風2
永井荷風。ながいかふう。1879〜1959。昭和34年の今日、4月30日没。東京都出身。小説家、劇作家。慶応義塾大学教授。高等商業学校附属外国語学校清語科中退。広津柳浪、福地桜痴に師事。米仏を遍歴。慶大教授時代に『三田文学』を創刊。作品に『腕くらべ』『断腸亭日乗』『あめりか物語』他。



数え年81歳で急逝した永井荷風の遺体を千葉県市川市の自宅で発見したのは、福田とよというお手伝いの老婦人でした。

果たして、蜘蛛の巣だらけの六畳間に敷かれた汚い万年床の上に、荷風こと永井壮吉はいました。

愛用の紺の上着に焦げ茶のズボン、襟巻きを被った頭を俯(うつぶ)せに、やや右を向いたその面(おも)はあくまで穏やかであったとはいうものの、枕元の火鉢の中と畳の上には吐血の跡、蒲団には食べ残しのチーズクラッカーが散乱し、なんとも寂寞(じゃくまく)たる光景であった、といいます。

このように、貧窮極まれりといった家の中で誰に看取られることなく逝った永井でしたが、これもまた彼一流のポーズだったのではないか、とする向きがあります。

最悪の体調に苦悶しながらも、医師や薬剤を頑固に拒否し続けた最晩年の彼を、あの佐藤春夫(小説家。1982〜1964)が評した「自然死による覚悟の自殺を企てていたものとしか、わたくしには考えられない。」という一文などは、その最たるものでしょう。

永井荷風1

また、交際を避け、孤独な隠者生活を続ける永井を吝嗇(りんしょく。けち。)な人物と決めつけていた人たちは、彼の遺産が現金3000万円を初めとする実に高額なものであったことを知ったとき、やはりと膝を叩いたに相違ありません。

確かに永井は、ガスも引かずに七輪でコーヒーを沸かし、人に食事を振る舞うこともせず、紛失した2000万円入りの鞄を届けてくれた人物にも、礼金として5000円しか渡しませんでした。

しかし、です。

その一方で、戦後、生活苦に陥っていた尾崎紅葉未亡人にお見舞いと言われれば3万円、森鷗外記念館創設にあたって寄付が募られていると知れば5万円、という具合に、ここぞというところでは実に気前良く大金を投げ出しているのです。

金は大切に使う。

これが彼の信条だったのです。
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皆さん、こんばんは。近ごろ、某前知事がせこいだの、ケチだの話題ですが、「吝嗇家」という言葉も話題に上ることが多いようです。「吝嗇家(りんしょくか)」というのはいわゆる「ケチ」のことですが(weblio辞書)、かく言う僕も「吝嗇」です。(実際にお金がないのもあり ...

Mr.NAO

Author:Mr.NAO
東京都港区出身 
男性 
水瓶座

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