2011/03/08 16:25:08
事実について書いていると、それについての自分の感想を書きたくなってきます。
会話もそうです。
会話というのは、事実と感想のやりとりで成り立っています。
しかし、ここでお話ししているのは、複数の人が言葉のキャッチボールをする会話ではなく、1人の人間が自分以外の人に対して発表する文章についてですから、会話とは違った技術を要します。
ある事実について自分が感じたことがひとつの考えとしてまとまると、それは「意見」となります。
人が文章を書くとき、その人が事実についての「意見」を持っていると、それを相手に知ってもらいたくなります。
ところが、書き方が上手くないと、その肝腎な「意見」が相手に伝わらないのです。
では、どのように書けばこちらの「意見」が相手に届くのでしょうか。
それは、「事実」と「意見」をはっきりと分けて書く、ということです。
実はこれがなかなか難しいのです。
「事実」と「意見」が混同して、どれが「事実」でどれが書き手の「意見」なのかわからない文章になりがちなのです。
そうなると読み手は混乱して、この文章はいったい何を言いたいのかわからない、と思われてしまうのです。
例えば、読書感想文コンクールの審査で、基本的に最も重点を置かれるのがこの点です。
本の内容(事実)とそれを読んだ感想(意見)が、きちんと分けて書かれているか、ということです。
わかりやすくするために、小学校低学年レベルの感想文を挙げてみましょう。
先ずは良くない例です。
「ぼくは『カチカチやま』をよみました。
えほんではなく、じがたくさんのほんです。
たぬきが、かわいそうでびっくりしたけど、おばあさんをころして、おじいさんがかなしんでいました。
おじいさんは、なんでじぶんがやっつけないのか、うさぎに、たぬきをやっつけて、とたのみました。
うさぎは、さいごにたぬきをどろのふねにのせて、ざんこくだなあとおもったけど、みずにしずめました。
おじいさんは、よろこんで、いさましくてさむらいみたいなうさぎにおれいをいいました。
とてもおもしろかったです。」
この感想文はなぜ好ましくないのでしょう。
1行めと2行めは「事実」です。
しかし、3行めにある「かわいそうでびっくりしたけど」という部分は書き手の感想、つまり「意見」であり、この行には「事実」と「意見」が混在しています。
4行めの「なんでじぶんがやっつけないのか」、5行めの「ざんこくだなあとおもったけど」、6行めの「いさましくてさむらいみたいな」も同様に書き手の感想、「意見」で、それ以外の部分は本のストーリー、「事実」であり、これらの文にもまた「事実」と「意見」が混在しています。
書き手が読んだ本が、誰もが知る昔話ですから、この感想文を読む人は「事実」と「意見」の混在にすぐ気付くことができます。
でも、もし書き手が読んだ本がまるで有名でなく、感想文を読む人がその本を読んでいなかったら、「事実」と「意見」の混在に気付けない場合が生じます。
6行めの「いさましくてさむらいみたいな」がそれに当たります。
こういう記述がその本の本文にあるのか、それともこれは書き手の意見なのか、本そのものを確かめてみなければわからない、従ってこれは「事実」なのか「意見」なのか不明だ、ということになります。
それでは、この感想文をどのように直せば良いのでしょう。
次回、お示しします。
スポンサーサイト
|ホーム|